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児童養護施設で育った海外在住ゲイのブログ

児童養護施設での生活について

僕は物心がついた時には児童養護施設で暮らしていました。母親がシングルマザーで安定した仕事についておらず、健康面や生活面で子供を養育することは不可能と児童相談所に判断され施設に預けられました。母親が親戚や付き合ったいた男に家に一緒に住んでいた記憶はあるのですが、長期間固定した家で生活していた記憶がほとんどないので家や実家と聞いてイメージできる場所(生まれ育った家族が住む家)というものがありません。

 

僕が暮らしていた児童養護施設は定員の数が大きく担当の職員といくつかのグループに別れた子供達が一緒に暮らす、いわゆるホーム制をとっている施設でした。0歳児から18歳までの子供が共同生活をしていて、入所理由は様々ですが、現在多い虐待やニグレクトといった理由での入所は少なく、親との死別、片親のみで生活が困難、親が受刑中で引き取り手がいない、親に捨てられた、などの理由が多かったのではないでしょうか。

 

入所している子供の数が多いので、食事・入浴・学習時間などはある程度決まった時間にスケジュールされていて、思春期になるにつれ多少窮屈に感じることがありました。ただ、小さい頃に預けられたので、母親に会えない寂しさはあるものの、訳のわからない場所に無理やり連れて来られて生活させられているという気持ちは一切なく、小さい頃から一緒に生活している同学年や歳の近い子どもたちと楽しく遊んで生活していました。保母さんがお母さん、指導員の方がお父さん、同じホームで暮らす子供達が兄弟のようなイメージですかね。季節に応じた行事も多く、それなりに楽しく良い思い出になったと思います。馴染みのない方にはどんな生活なのかなかなか想像つかないかもしれませんが、刑務所や少年院のような生活ではなく、子供達と職員がわりと自由に和気あいあいと楽しく生活しています。一般の方が宿泊にかられると修学旅行みたいで楽しかったという感想を聞くことが多いです。

 

食事については専属の栄養士の方がバランスのとれた献立を作ってくださっていて、季節の旬の食材を使った食事が出されていました。食べ物を残すことは基本許されなかったので食わず嫌いがなくなんでも食べられるようになりました。

 

イジメは当然ありましたね、歳上あるいは力が強い子が歳下をあるいは仲間に入れない子をいじめるという構図です。今はどうかわかりませんが、90年代中盤ぐらいまではいわゆるヤンキーブームがまだ残っていて、つっぱること強がることがかっこいいとされていたのと、家庭の事情で児童養護施設に入って心が平安に浸る事なく非行に走ってしまう少年少女は結構な割合でいました。

 

親がいる子はもちろん面会が許されていて、子どもが小さいときは週末に施設に親が会いにくる、中学生以上になれば子供たちが週末親元に帰ることが普通でした。

 

お小遣いは一般の金額を目安に支給されていて当時、小学生が600-900円程度、中学生が1500円程度、高校生が5000円程もらっていたと思います。年に1-2度衣服代が支給されますが、なかなかほしいもには買えないので高校生になるとアルバイトをしてお小遣いを稼いだり、将来のために貯金する子も多かったです。

 

以上児童養護施設での生活についての話でした。まとまりのない文章ですみません、今日はここまで。